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国産カメラ名機列伝
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カメラとは、写真を撮るための道具である。決められた時間シャッターを開け、レンズから取り入れた光をフィルムに当てるだけ。どんなに多機能であろうとも、その瞬間、カメラの役割は等しく同じである。いいカメラを使って撮れば、優れた写真が撮れるというものではない。

写真の画質を決める大きな要素は、フィルムとレンズだ。しかしその画質でさえ、フレーミングやライティング、表情の捉え方、フィルターワークなど、限りなく存在する「いい写真」の要素の中では、大きなものではない。ましてカメラ本体は、シャッターが正確であればそれでよいとも言える。

だがそれでも、写真家はカメラにこだわる。素晴らしい作品を残す写真家は皆、長く使い続けたパートナーとも呼ぶべき愛機を持っている。なぜであろうか。

写真家はカメラを、両手で包みこむように握る。全神経を集中させ、息をこらし、ファインダーに目をぴたりとつけて、シャッターを押す。「カシャ」と小さなシャッター音が、創作の瞬間を教えてくれる--。

写真は、何日も何ヶ月も、あるいは何年もかけて創作する絵画や彫刻とは決定的に違う。写真の創作は長くても数秒、短ければ数百分の一秒という「一瞬」である。その一瞬に、いかに感性を研ぎ澄まし、写し込む事ができるか。そこには写真家とカメラの間に、感性の共鳴があると思うのだ。

フォルム、シャッター音、ホールド感、操作感、信頼性。そのどれもが写真を楽しくさせてくれるようなカメラを持てば、必然と優れた被写体に導かれるような感覚がするのは、私だけではないだろう。

ここでは、数々の写真家と写真愛好家に愛され、その名をカメラ史に刻んでいる名機を、紹介する。


キヤノン 2b キヤノン 2b

キヤノン IIBへ
ニコン SP ニコン SP

ニコン SPへ

キヤノン2B キヤノン2B

1930年代、キヤノンの前身、精機光学研究所を創業した吉田五郎は、当時、技術力で世界の頂点に君臨しており非常に高価であったライカのカメラを分解・研究し、試作カメラ「KWANON(カンノン)」を生み出した(現存するものはない)。その幻の試作機に、日本光学工業(現・ニコン)からレンズの供給を受けて完成したキヤノンの第一号機「ハンザキヤノン」は、1936年に販売を開始する。カメラ業界ではライカの模倣品と揶揄されたりしたものの、まぎれもなく国産初の35mmレンジファインダーカメラの誕生であった。翌37年にはキヤノンは独自のレンズの開発に着手。しかし間もなく日本が太平洋戦争に突入。キヤノンの工場の多くは焼失を免れたものの、終戦の混乱のなか、キヤノンの事業は一時中断を余儀なくされた。

敗戦の2ヵ月後、キヤノンの技術者たちは終結し、「ライカに追いつけ追い越せ」の号令のもと再びカメラ製造を始める。進駐軍の需要の高まりによって事業は好調となり、1946年10月に戦後初の新商品「キヤノンSII」を発売。「キヤノンSII」は、一眼式連動距離計という、当時のライカにもなかったキヤノン独自の機構を搭載していた。さらに1949年4月、その後継機種として、「キヤノンIIB」を発売したのである。

このカメラの最大の特長は、ファインダーの倍率を任意に変えることができる3段変倍一眼式の連動距離計機構を搭載したことにあった。変倍レバーの操作で、0.67倍から1.5倍まで視野像が変化するので、使用レンズによってファインダー倍率を手動で変えられるのである。画期的な発明であった。このシステムは交換レンズに対応するキヤノン独自の仕様として、以降のキヤノン35mmレンジファインダーカメラに継承されるのである。またそれ以外にも「キヤノンIIB」は、国産のそれまでのカメラと比較して、技術的な向上は目覚しかった。

このカメラは世界のカメラメーカーの先端にあったライカやコンタックスには性能・精密機構的に及ばなかったが、戦後キヤノンの躍進の基盤を築いたといえよう。そして、国産カメラがその後、ドイツと並んで世界に名を馳せるようになる、一つの大きなステップとなった。

ニコンSP ニコンSP

1917年に光学兵器の開発を目的に設立された日本光学工業。写真機器の生産はカメラ本体よりもレンズが先(1930年代)であり、カメラの名称である「ニコン=NIKON」よりも写真レンズの名称である「ニッコール=NIKKOR」の名で知られていた。しかし終戦後、軍需から民生へと完全に転換したニコンはレンズとともにカメラの開発も進め、1948年に初のレンジファインダーカメラニコンI型を発売して以降、改良に改良を重ね、ニコンM(‘49)、ニコンS(‘50)を発売していく。

54年春、カメラ業界を震撼させる大事件が起きた。「Leica M3」の発売である。世界中のカメラメーカーの技術者たちは、カメラとしての性能が飛躍的に向上したその革新的な技術に驚愕した。その「差」に愕然としたニコンの技術者は開発中のニコンS2の発売を延期してさらに機能を充実させ、同年の12月にニコンS2を発売する。等倍の標準レンズ用アバタフレーム内蔵、アルミダイカストボディの採用(軽量化)、初めてのフルサイズ(24×36mm)を実現したニコンS2は世界でも高く評価され、約6万台を販売する。

だが、そのニコンS2も遠く及ばないほど、「Leica M3」は極めて優れていたのが事実であった。ニコンもその後他の国産カメラメーカーと同様、一眼レフカメラへと方針を転換していくのだが、それでも最後の最後に技術の粋を結して、ライカを越えて世界の頂点となるレンジファインダーの最高機種を作ることを決めた。2年半の開発期間を経て1957年9月にニコンSP(NIKON S Professional)を発売。画期的なのは「ユニバーサルファインダー」と名付けられた主副2つのファインダー。主ファインダーは倍率等倍で50mm、セレクターダイヤルにより85mm、105mm、135mmのフレームが表示されパパラックスを自動補正。副ファインダーは28mmと35mmのフレームを表示する。

28mmから135mmまで、特殊ファインダーを使わずに交換レンズを使用できることは画期的であった。フォーカルプレーンシャッターの機能も大幅に向上。作動部分を軽量化し、正確性、静音性が大幅に高められた。ニコンSPは、アメリカの写真雑誌やNBCテレビなどで紹介され、高く賞賛されたのである。

ニコンが積み上げた技術をすべて注ぎ込んだニコンSPと、その翌年にリリースされたSPの廉価版であるニコンS3を最後に、ニコンはレンジファインダーカメラの生産を終了する。そしてニコンSPは、ライカM3と肩を並べる名機として世界に名だたるようになるのである。

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