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銀座カツミ堂写真機店
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第二期 〜バラック街を賑わせる朝鮮特需〜

--再び訪れた銀座はいかがでしたか?

治安がすごく悪かったですよ。中央通りにも晴海通りにも露天がいっぱい出ていて、バラック街が出来ていたんですよ。和光や松屋は進駐軍のPXに取られてね。夕方5時になって暗くなったら、誰も外を通らないんです。築地警察署からは、店に泊まってはいけないという通達があったんですよ。強盗に殺されるからって。私が店を引き継ぐ前は7回窃盗に入られたそうですからね。それが昭和25年の秋ですね。

--昭和25年といえばちょうど朝鮮戦争が始まったときですね。

そう。25年の冬はあまり売れなかったんですけどね。年が明けて26年になると、いきなり好景気になってカメラが飛ぶように売れ出した。銀座では特にカメラが全然足りなくて、大阪からブローカーが夜汽車に乗って売りにくるぐらいだった。だって私が朝一番で店に来たら、もうお客さんが買いに来ているんですよ。

--どんなカメラが売れていましたか?

その頃にはぼちぼち、国産の新品のカメラも出てきましたね。僕の記憶では戦後最初にカメラを売り出したのはミノルタで、セミ判※のカメラですね。そのあとにキヤノン、ニコン、オリンパス、ペンタックスと35mmのカメラを次々に出していった。だけどやっぱり、ライカやカールツァイスのカメラにはかなわない。つくりが全然違う。国産のカメラのビスは真鍮を使っていたんだけど、ツァイスは焼きの入った鋼で締めるから、ゆるまないんだ。シャッターでも何でも、全然違う。敬服しますよ。

--でも、外国製のカメラは金額も相当高かったんじゃないですか?

高いですよ。ライカは昭和25年当時、中古の3Aズマール付で10万円していましたからね。その頃、ローライフレックスの新品も入っていたんだけど、それなんて20万近くするわけ。マミヤシックス※2が1万5千円ぐらいで、ミノルタのセミ判は5、6千円で買えた頃ですよ。そんなカメラがずいぶん売れたんですよ。私は昭和26年の春頃になってお金ができたので、港区の神谷町に35坪の平屋の家を買ったんだけど、それが45万円ぐらいだったから、ローライ2台とちょっとで東京に家が買えちゃうんですよ。神戸ではそんなにいいカメラ全然売れないんだけどね。銀座では売れた。やはり客層が全然違うんですよね。

--神戸と銀座じゃそんなに違いましたか?

違いますよ。東京はなんてカメラが簡単に売れるんだろうってびっくりしましたから。「お前の店は高い」って言うお客さんなんていないんです。フィルムだって「幾ら」と聞かれて、「280円です」って言えばそのままぱっと買ってしまう。ブローニーのモノクロフィルムだったんだけど、当時定価で120円ぐらいだったけど、そんな値段じゃ手に入らない時代だったからね。でも神戸じゃ280円って言ったら「高いから負けろ」と怒られますよ。東京ではカラーフィルムだって売れた。1本1000円でも売れるんですからね。

--今よりも全然高いじゃないですか。そば一杯幾らの時代ですか?

かけそば一杯15円か20円の時代ですからね。今で考えればフィルム一本1万とか2万とかって感覚ですよ。それがね、カラーフィルムが大阪に行くと安く売ってるんです。私は時々大阪にカメラを仕入れに行ってたんだけど、一緒にカラーフィルム20本、30本買って帰ったらね、そのフィルムだけで汽車賃から宿泊費から全部出ましたからね。

※セミ判=撮影サイズが6cm×4.5cmの中判カメラの通称。
※マミヤシックス=1940年にI型という初期モデルが発売されたマミヤ社製の6×6中判カメラ。レンジファインダー、蛇腹式レンズの独特なデザイン。











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