1930年代、キヤノンの前身、精機光学研究所を創業した吉田五郎は、当時、技術力で世界の頂点に君臨しており非常に高価であったライカのカメラを分解・研究し、試作カメラ「KWANON(カンノン)」を生み出した(現存するものはない)。その幻の試作機に、日本光学工業(現・ニコン)からレンズの供給を受けて完成したキヤノンの第一号機「ハンザキヤノン」は、1936年に販売を開始する。カメラ業界ではライカの模倣品と揶揄されたりしたものの、まぎれもなく国産初の35mmレンジファインダーカメラの誕生であった。翌37年にはキヤノンは独自のレンズの開発に着手。しかし間もなく日本が太平洋戦争に突入。キヤノンの工場の多くは焼失を免れたものの、終戦の混乱のなか、キヤノンの事業は一時中断を余儀なくされた。 敗戦の2ヵ月後、キヤノンの技術者たちは終結し、「ライカに追いつけ追い越せ」の号令のもと再びカメラ製造を始める。進駐軍の需要の高まりによって事業は好調となり、1946年10月に戦後初の新商品「キヤノンSII」を発売。「キヤノンSII」は、一眼式連動距離計という、当時のライカにもなかったキヤノン独自の機構を搭載していた。さらに1949年4月、その後継機種として、「キヤノンIIB」を発売したのである。 このカメラの最大の特長は、ファインダーの倍率を任意に変えることができる3段変倍一眼式の連動距離計機構を搭載したことにあった。変倍レバーの操作で、0.67倍から1.5倍まで視野像が変化するので、使用レンズによってファインダー倍率を手動で変えられるのである。画期的な発明であった。このシステムは交換レンズに対応するキヤノン独自の仕様として、以降のキヤノン35mmレンジファインダーカメラに継承されるのである。またそれ以外にも「キヤノンIIB」は、国産のそれまでのカメラと比較して、技術的な向上は目覚しかった。 このカメラは世界のカメラメーカーの先端にあったライカやコンタックスには性能・精密機構的に及ばなかったが、戦後キヤノンの躍進の基盤を築いたといえよう。そして、国産カメラがその後、ドイツと並んで世界に名を馳せるようになる、一つの大きなステップとなった。 |