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銀座カツミ堂写真機店
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ライカに魅了された

半年のイギリス滞在の当初の計画が1年、2年と延び、ついに4回目の春をロンドンで迎えていた。中、僕達の住んでいる倉庫にチェコ出身の写真家、ジョセフ・クーデルカが遊びに来て一晩泊っていった。彼はすでに何度かここに来たことがあった。彼はある時は、ライカM4のブラックペイントを2台、首からさげ、胸のところで2台がガチャガチャと音をたて、ある時はライカM3をやはり2台首からさげて登場した。彼はフランスの有名な写真エージェンシー、「マグナム」の会員で、世界で活躍している写真家の一人だった。「彼もいつもライカだ。何故?」僕は何故ライカを使うのか彼に尋ねてみた。「大きさ、ストレスのないファイダーの見え方、信頼性、ライカは僕の様に旅をしながら人間を撮る写真家には最も気持ち良く使えるカメラなんだよ・・・。君はこれまでずっとニコンでよい写真をたくさん撮ってきたんだから、このまま撮り続ければよいのさ。」ニコンを使い続けるという選択もあったが、僕のライカ熱はこうした世界一流の写真家の言葉を聞き、ますます高揚していった。

僕のロンドン滞在は何と8年目を迎えてしまった。それ程、ロンドン、又はヨーロッパには写真家を引きつけてやまない人間くささと国土の美しさが両立していたのだ。僕は日本にはもう帰りたくなかった。

1982年、日本のファッション誌から仕事が来た。ギャラが35万円だった。そのお金がロンドンの銀行に入金されるや、僕は全てを引き出し、ライカの中古店に走った。ブライトンにあるホブカメラという店だ。そこで、ブラッククロームのライカM4とズミクロンの35ミリを手に入れた。あれ程欲しかったライカがついに僕の手の中に入ったのだ。32才。僕が日本を発って9年が過ぎていた。

手に入れた嬉しさは、想像をはるかに超えていた。食事とお風呂に入る時だけ首からはずし、その他の時は常に僕の手の中か、胸からライカはぶら下がっていた。

初めての、つまり一本目のフィルムはロンドンの若者で賑わうケンジントン・マーケットという、おしゃれなファッション街のスナップを撮った。すぐに気付いたが、ライカだと人々が写真に撮られていることをあまり気にしなかった。カメラのサイズが小型だからだろうか、アマチュア的に見えるのか、人々は皆自然体のままだった。そして次に気付いたことがあった。それは、シャッター音の耳への感触だった。特に1/60秒で切った時のシャッター音が、内にこもる様な、コトリッという実につつましやかな音を奏でるのだ。カメラを構えると必然的に耳元でこの音が聞こえる。金属と金属が触れ合ったり摩擦を起こしたりして発する鋭い音とは対称的な、メカが静かにいたわりながら発する優しい作動音だった。シャッターを押すたびに僕はこの作動音のとりこになった。この音がもう一度聞きたいからもう一枚写真を撮る、といった気持ちにさえなった。

一本目を現像し、プリントするとやはり、かつて友人から借りたレンズと同じような質感に満ちた画像が印刷紙の上に結像されていた。

32才でやっと買えたライカだ。この感激をいつまでも忘れず、写真を撮り続けられたら僕の人生はどんなに幸せだろうかと想像してみた。

そして、一か月が過ぎ、何枚かの気に入ったプリントが机の上に並べられた。その時思った。「そうだ、人の人生がこのカメラによって撮れるんだ。いままでは人生よりむしろ表面的なモノを撮っていたんだ。これからはこのライカで僕と被写体の両方の人生を一枚の写真の中に写し込めることが出来るだろう。」

そんなことを大げさではなくしみじみと感じたのである。

もちろん、ライカでなくても、人生を撮れると思う。僕のロンドンの初期のニコンによる写真も、やはり人生を撮っている。しかし、ライカを手にしたことで人生がファインダーの中に、より鮮明に浮かび上がってきた気がした。

世界の名だたる写真家の多くが使ったライカ、愛したライカ。きっとライカはその創生期から現代まで、写真家の心に勇気と優しさを与え続けてきたカメラではないだろうか。



※銀座カツミ堂で取り扱っている商品になります

ライカを知ってみよう

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